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ある下宿の思い出
    (松島@パオさんからの投稿・・・2004年7月7日)


その 1

 それは寒いある日のこと、何事かと思えるほど足早で辰美荘北東の 私の部屋に階段を駆け上る音がした。 ほどなくして勢い良く「ガラガラ」と玄関の引き戸を開ける男がいた。 「どうしたんだい?」と私が差し向けると、その男は「今、すごいところに行ってきたぞー、カコちゃんが一番かわいいなー」と云うのであった。

 うすうす察しはしていたが「どこに行ってきたんだい?」とさらに聞き返すと「キャバレー、キャバレーだよー」と語気を強めて云うのであった。すでに経験のある私は、「なーんだ、キャバレーかい」と嘲笑うように云うと、「 PM 1号店のカコちゃん(漢字の名前は不明)綺麗だぞ」と言い返してきた。

 少し間をおいて、ロンドン1号店の経験しか有していない私はその他の店の内容は知らなかったため 「どんな感じの店?」と、つい聞き返してしまった(これが男の性なのか)。

 それから、その饒舌な男の口から次から次へと解説が1時間程続いた。その1時間の講演の内容は全部覚えてはいないが、隣で女性と酒を飲みながら会話を楽しんだ後、ハッスルタイムと云うのがあって、繰り返すフラッシュの中での踊りが行わたそうである。バックミュージックは沢田研二の「勝手にしやがれ」だったそうである。

 その後、喋り疲れたその男は、私の部屋にあった広告紙の白紙の裏面に「チャンチキ、チャンチキ、おさわり、おさわり・・・・・」と書き始めた。しばらく、その文章を眺めているうちに、私は側にあったギターでメロディを付けてみた。

 パオファミリーの名曲「キャバソン」の誕生であった。
  この曲の誕生には当時の日本文化の中で一世を風靡していたキャバレー文化があった。

その 2

 私の下宿(辰美荘)の隣に、ひょろひょろとやせ細った男が住んでいた。頭の毛の少ないその男の顔は知っていたが、素性までは知らなかった。ある日の夕方、外の廊下でタバコを燻らせていた私に「 FUCO に入りたいのですが、誰に言えば良いのですか?」と今では考えられないほど丁寧に聞いてきた。「私に云えばいいんだよ」と申し向けると愕いた顔をしていた。後になって、なぜ FUCO のことを私に聞いたのか尋ねたことがある。その痩せた男は、隣でギターの音がしたからと言っていた。

 それから、その男の部屋に出入りすることになった。その男の部屋には、なんと当事の学生には高値の花の冷蔵庫があった。貧乏学生にとって共助の精神は重要であり、夏の暑い日には、冷えた水がなによりのごちそうである。いつも冷えた水をあたかも自分のもののごとく利用していた。ある日、いつものように「水、水をくれ」とその男の部屋に乗り込んだ。その男は、さっとすぐさまコップに水を入れて差し出した。「サンキュー」と一気に飲んだ。しかし、それは水ではなかった。なんと、日本酒であった。その後どうなったかは想像して欲しい。思えば、なつかしい思い出である。

 その後、私の同級生の岡崎栄ちゃんを紹介して、フォークデュオの与作田吾作が誕生した。

その 3

 長崎屋のすぐ側にある下宿に中国人と思える3文字の名前を持つ男が住んでいた。この男の下宿にちょくちょく遊びに行った。部屋はいつものとおり汚かったが、万年床をヒョイと片付けて場所を作り、ギターをよく弾いた。ふきのとうを愛するこの男は非常にナイーブに思えた。

 ある日、この男のグループのメンバー3人と太田の劇場の行ったことがある。そのメンバーの中でメガネをかけた一番かわいいい顔をした男は口が開いたまま動けなくなってしまったが、その下宿の男ともう1名の顔の黒い男は、一番前の席に行って、めいっぱいにはしゃいでいた。

 人を判断することの難しさを経験し、とてもよい勉強になった思い出がある。


 

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